父の死

2025年7月12日(土)

 

日付が変わってすぐ、にーにーから連絡があって

 

「父ちゃん亡くなったから」

 

と。

そうかそうか、と、冷静な私が居る。

 

覚悟はとうに出来ていた。

何なら長生きさせてもらったね、って思ってしまうくらいで。

 

透析を始めて20年以上、そろそろ30年になってしまうぞ、って思っていた矢先の出来事。

 

「この人(父)はちょっとやそっとじゃ死なないよ」

 

と、笑いながらお世話になっている先生が言っていた。

その先生が先に天国へ行ってしまい、本当に父は長生きしそうだな…と感じた学生時代。

 

だいぶ頑張ったよ。

 

孫の顔を見せる事も出来たし、良かったと思ってる。

長年、きつかっただろうよ。

 

辛かっただろうよ。

 

私に辛い顔なんて見せずに、ウインクしながらニコッと笑ってくれる笑顔が思い浮かんだ。

その顔を思い出した途端に涙が出てきた。

おかしいな、連絡来た時は全然大丈夫だったんだけど…

 

家族の事よりも自分自身の事を優先にする最低な父親だったけれど、その家族がまた1人居なくなったと思うとかなしくなってきた。

 

先週、ヤバいかもしれないと連絡を受け、入院先の病院へお見舞いへ…

 

行こうとしたけれど行けなかった。行かなかった。

 

勇気が出なくて。

 

最期を迎えようとしている父を見る勇気が出なくて。

 

こわくて。

 

会ったら本当に最期かもしれないと思って。

 

もしかしたら、父はお見舞いに来てくれるのを待っていたかもしれない。

 

でもこわくて出来なかった…

 

現実から目を背けてしまった。

 

もしも、もしもね?

 

お見舞いに行ってたら

 

「大丈夫よー」

「ピースピースv(´∀`v)」

 

なんてダブルピースしながら迎え入れてくれたかもしれない。

お見舞いに行けなかった事、看取れなかった事、娘として悪い事したなって思うけれど、行ってたら逆に不安で毎日ろくに寝ないで家事育児仕事も手付かず状態で色んな方に迷惑かけてしまっていたかもしれない…

わからんけどね?

 

少しだけ後悔してる、少しだけ…

 

 

 

昭和25年生まれの寅年、75歳。

 

透析始めてから先生からも周りからも、勿論私達家族からも「タバコを辞めろ」と言っても聞かずにバカスカ吸いよって。

吸わなかったらもっとラクに毎日を過ごせただろうに、自分で身体にムチ打ってるような人でした。

 

逃げ出そうとしていた時もあったけど、約束した通り、光洋にーにーの分も頑張って生きてくれたよ。

ありがとうだよ。

 

やっと機械も身体から出されて、すべてから解放されたんだよ。

頑張った、本当に頑張ったよお父さん。

 

何十年も頑張って闘ってきた分、ゆっくり休んで。

本当に、本当にお疲れ様でした。



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