7月21日(日)
最期のお別れは、コロナのせいで行けなかった。
孫として失格だな…と、反省している。
訃報を知ったのは1週間前、孫のグループLINEにあがってきた1枚の写真と一言。
「明日の葬儀の予定です」
写真には葬儀の日程が書かれており、最初は「?」状態だった。
誰の葬儀ね?
もしかして、いや、まさかね…
そう思いながら、本島に居る兄に連絡をとると「(亡くなったのは)ばあちゃんだよ」と。
聞くと、入退院を繰り返していたのだそう、亡くなる数日前に会った時は元気そうだった、と話してくれる兄。
私もすぐに本島へ行こうとしたのですが、なんせコロナの療養期間だった為行けない…
↑詳しくはこちらでございます。
最期のお見送りが、療養期間のせいで出来なくて…
こればかりはもう、日頃の行いのせいだと笑うしか無くて。
でも、ばあちゃんとお話したくて…
「初七日に来たら良い」と母からの連絡。
初七日なら療養期間も終わっているし、みんなにうつす心配も無いから。と。
それなら…という事で、今回急遽本島へ行く事になったんです。
最後にばあちゃんに会いに行ったのはいつだったろう…
なんと2年前でした(;^ω^)
↑息子ちゃまがまだ0歳の時です。
毎年顔を見に行こうと思っていたのに、色々あって叶わなくて。
2年ぶりの再会は遺影とでした。
沢山の孫、ひ孫が集まって、盛大に初七日を過ごしました。
なんというか…すごいよね、103歳。
腰は曲がっていたけれど、ちょっと認知症も出ていたけれど、なかなか会えない私の事を覚えていてくれて。
石垣島と金武町、近いようで遠いや。
小さい頃はばあちゃん家に泊まりに行くと怒られてばっかりで、金武町に行くのは楽しみだったけれど、怒られるからばあちゃんと過ごすのはちょっと嫌だったなぁ。
カメーカメー攻撃すごくて、もう食べられないってのにどんどん出てきて、どこからそんなに食べ物出てくる?!ってビックリしたなぁ。
もっと会いたかった、子供達をもっと抱きしめてもらいたかった。
方言まじりの会話、難しすぎて何度も標準語に直してもらっての会話が懐かしい。
もっと話したかったなぁ。
後悔しても、もう叶わない事。
わかってはいるけれど、求めてしまうよね。
春子ばあちゃん、103年の間に色々あったと思う。
大変だったって聞いてる。
辛い思いも沢山あったって聞いてる。
私にとってあなたは誇り、憧れです。
どんなに辛くても強く生きたあなたの様になりたい。
出会えて良かった、孫になれて良かった。
感謝、感謝。
伝えたい事はまだまだ沢山あるから、今度線香あげに行くね。その時沢山お話するね。
春子ばあちゃん、ありがとう。またね。
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